想いのままに・・(7)
長~い間投稿を中断していましたが、ようやく新しい職場での仕事にも慣れて来たところです。でも、11年近く家で自由気ままに仕事をやってきたので在宅と違って日勤は拘束時間というものがあり自由が効かないので精神的にも肉体的にも疲れます。
でも充実した毎日を送っており、仕事が出来る事に感謝の毎日です。これからも悔いの無い日々を一歩・一歩、進んで生きたいと想います。
長~い間投稿を中断していましたが、ようやく新しい職場での仕事にも慣れて来たところです。でも、11年近く家で自由気ままに仕事をやってきたので在宅と違って日勤は拘束時間というものがあり自由が効かないので精神的にも肉体的にも疲れます。
でも充実した毎日を送っており、仕事が出来る事に感謝の毎日です。これからも悔いの無い日々を一歩・一歩、進んで生きたいと想います。
レーヴの仕事はスタッフにほぼ任せて、 ソフト開発の仕事を新しく始めることになりました。 この新しく始める事になった仕事は、偶然にも一度辞めた会社での仕事になりました。 これも何かの縁だと思います。 そしてなんとこの仕事は今年の3月末まで続くことになりました。 そして4ヶ月ほど千葉県の会社の仕事をやっておりましたがちょっとした行き違いで仕事がなくなり、今年9月から自宅近くのとある会社の中となりました・・・・・・。
今は、環境変化と新しいことを覚えるために毎日忙しい日々を送っておりますが、この縁ある会社に対しては感謝の気持ちで一杯です!
我想う、与えられた使命に全力を持って挑戦しよう!!! 日々、感謝の想いと悔いの無い日々を送るために!
レーヴの売上げは相変わらず好転しない日々が続く中、私の手持ち資金も段々と残り少なくなってきました。 ただ、店としては収支トントンの状況まで改善していましたので、店はスタッフに任せて自分の生活費を稼ぐ為に新たな仕事を探す事になりました。
開店当初から赤字スタートとなったレーヴでしたが、その後も日々の売り上げは乱高下のめぐるましい状況で半年ぐらい赤字が続きました。
毎日、夕方に店にでて、「夢空間」での生活を楽しんでおりましたがこの頃になると資金面で少しずつ不安を感じるようになってきました。 ただ、一年ぐらいはどんな事があっても頑張ろうと心に決めておりましたので、自分の生活の出費を出来るだけ切り詰めて無駄な出費を抑えて過ごしました。
Reve(レーヴ)の開店初日は、生憎の雨でした。 水商売、それも「食」ではなくて「飲む」、雨の日は商売上がったりです!
仕事を終えて、最初から飲むという方は稀でまずはどこかでちょっとお腹を満たしてから・・というパターンがほとんどだと思いますので、初日から売上は赤字というスタートになりました。
不思議なもので、想いが煮詰まるとレールの上を走るように色々な事が進んで行きました。 まずは物件探し、これはお好み焼き千房 (ちぼう)の社長から知り合いの不動産屋を紹介していただきまして、心斎橋筋の大丸近くに物件が見つかりました。
会社を退職した私は、一時金として纏まったお金を得ました。 これからの生活の事もを考えて、このお金を元手に何かを始めようと思いました。
1993年11月のある日、それまで考えたことも無い想いが頭をよぎりました。 今の何不自由ない生活を支えてくれているこの会社で、このままずっと勤めていつかは来る定年を迎える事は、自分をダメにしてしまうのではないかと・・・・・・?
一度しかない自分の人生を、楽しく悔いなく生きる・・・・・、そう心がけながら前向きに生きていく決心を固め、日々の生活を送るうちにようやく笑顔も出てくるようになりました。
段々と日々の暮らしにも明るさが戻ってきました。 そして、これからどうやって生きて行けば良いのかを考えるようになってきました。
二人分の人生を生きる・・・・・、 私が色々と考えあぐねて得た結論は、私自身が自分の「人生を楽しくそして悔い無くおくる事」が最高の彼女へのお土産ではないかと思いました。
その後も無気力な日々を過ごしていましたが、毎日・毎日、自問自答している間に気持ちに少しずつ変化があったように思います。
いつも愛情一杯で接してくれたちさとは、なぜ私だけを残して逝ってしまったのか? そして、なぜ私はちさとの後を追えなかったのか? それは年老いた両親が私にはまだいたからです。 私の今の苦しみや悲しみを同じように両親に与える事だけはしたくなかったからです。
深い悲しみと失望の日々を送っていた私に、ある日一本の電話が掛かって来ました。 当時勤めていた会社の上司、N部長からでした。
事故後、しばらくは絶望の淵にあり何で一緒に旅立てなかったのかと自分を責め続けました。 ただ、年老いた両親が田舎から急遽駆けつけて来て目の前にずっと一緒にいましたので、何も出来ませんでした。
今の私の人生が在るのは、「あの日」を原点としてスタートしました。 もし、「あの日」が無かったら平凡な一会社員としてその生涯を終えたかもしれません。